こんにちは!わたMANです。
今回は日本人がよく間違えている日本語をまとめてみました。
日本語は日本人でも本当に難しいと感じる場面が多くあると思います。
これを見て少しでも学ぶことができたら幸いです。
煮詰まる
煮詰まるの本来の意味は、「結論が出そうな状態」です。 [補説]近頃では、「煮詰まってしまっていい考えが浮かばない」のように「行き詰まる」の意味で使われることが多くなっている。 コトバンクの解説にあるように、近頃では「行き詰った状態」で使われることが多くなっています。
敷居が高い
「敷居が高い」の意味について、国語辞書(『日本国語大辞典 第二版』小学館)は次のように記しています。「相手に不義理をしたり、また、面目のないことがあったりするために、その人の家に行きにくくなる。また、その人に会いにくくなる状態をいう語。」
ほかの辞書も、同様の意味を載せていますが、中には語釈(語句の意味の説明)のあとに次のような[注意]を付記している辞書もあります。<程度や難度が高い意で使うのは誤り。「×高級すぎて僕らには敷居の高い店」「×初心者には敷居の高いゴルフコース」>(『明鏡国語辞典 第二版』大修館書店)
姑息
姑息の「姑」は「しばらく」、「息」は「休息」の意味。
「しばらくの間、息をついて休む」ところから、姑息は「その場しのぎ」の意味となった。
姑息が「卑怯」や「ケチ」の意味で用いられる事も多いが、そのような意味はなく誤用である。
「卑怯」や「ケチ」の意味で用いられるのは、「姑息な手段(その場しのぎの手段)でごまかそうとする」など、良くない場面で多く用いられる言葉であることや、「小癪」と音が似ていてることから、その混同によるものと考えられる。
確信犯
1.正しい意味
「政治・宗教などの信念に基づき、
自分では"良いことだ"と確信して行なう
犯罪行為」
2.間違った意味
「悪いことだと知りつつ行なう犯罪行為」https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1169940591
すべからく
『すべからく』は漢文調の古い言い回しです。『すべからく』を使うときには、必ず『〜べし、〜べき』とセットになっていなくてはいけません。『未だ、〜せず』『将に〜とす』と同じように、漢文訓読・二度読みする“再読文字”のひとつです。『すべからく、〜べき』とワンセットにしなければ本来の意味が成立しないということを覚えておきましょう。
潮時
「物事の引き際、終わり」という意味で使っている方、多くないですか?
潮時は「物事をするのにちょうどよい時」という意味です。
ですので「あの選手は海外進出の潮時」、「あの選手は引退の潮時」などと使うのが正解です。
たそがれる
「たそがれる【黄昏る】」の意味とは「日が暮れて薄暗くなる、盛りを過ぎて衰える」である。 物思いにふけってぼーっとするという意味で覚えている人は、8割もいるとされている。 江戸時代までは「たそかれ」と言っていた。 日が暮れて暗くなり人の顔が見えなくなった時に、「誰そ彼(たそかれ)」と表現したことが語源となっている。
役不足
- 1 俳優などが割り当てられた役に不満を抱くこと。
- 2 力量に比べて、役目が不相応に軽いこと。また、そのさま。「そのポストでは―な(の)感がある」
逆の意味で使っていませんでしたか?
失笑
失笑とはおかしさをこらえることができず吹き出して笑うこと。言動や行動のおかしな様子に冷淡な笑み(=馬鹿にしたようにふっと笑う)を浮かべるイメージがありますが、ネットなどでよく「吹いた」と書くときのニュアンス、あれが「失笑」の意味になります。あざ笑うイメージではなく、本当におかしくて自然と笑いが吹き出すシーンに用いるのが正解。
爆笑
「爆笑」とは、大勢の人たちが同時に笑うことを言います。たとえば劇場で、演者が面白いことを言って場内の皆が笑うような状況ですね。番組やネットを観ていて面白いことに笑ったとしても、画面のこちら側が一人であれば爆笑という言葉は使いません。
他力本願
・自らの修行などによって悟りを得るのでなく、仏の力によって救済されること
日本人のほとんどが誤解している意味とは全く違うことがわかりますね!
「他力=他人の力」と考えてしまうため、誤解を生んでしまったようですね。他力」とは、他人の力をあてにすることではなく、「阿弥陀如来の力」のことを表しています。
そして「本願」とは、阿弥陀如来の本願である「他人のために力を尽くし救ってあげること」となります。
的を得る
「当を得る」と、「的を射る」または「正鵠を得る/正鵠を射る」などが混同されて使われる表現。「 当を得る」は、理に適っている、の意味。「 的を射る」や「正鵠を得る/正鵠を射る」は要点をうまく捉えているという意味。 これらが混同されて「的を得る」と言う場合は、通常は「要点をうまく捉えている」などの意味で使われることが多い。
http://www.weblio.jp/content/%E7%9A%84%E3%82%92%E5%BE%97%E3%82%8B
割愛する
「割愛する」は,本来,惜しいと思っているものを,思い切って捨てたり省略したりすることを言います。「 明鏡」が説明しているとおり,元々は仏教の用語で,人や物事に対する愛着の気持ちを断ち切ることを言いました。 ですから,不必要なものを切り捨てる,又は,単に省略する,という意味ではありません。
http://www.bunka.go.jp/pr/publish/bunkachou_geppou/2013_04/series_10/series_10.html
最後に
どうでしょうか?
僕も本来の意味を知らなくて使っていた言葉が多くありました。
これを機に友達や家族に本当の意味を伝えてみてはいかがでしょうか?
いくつになっても勉強することは必要だと思います。
これからもこのような知識を学ぶことができる記事をまとめたいと思います。
最後まで読んでくれてありがとうございました。
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